SSブログ

被災地域からの帰還 その1 [東北関東大震災]

昨日16日やっとのことで「東北関東大震災」の被災地域を脱出し東京に戻ってきました。[soon]

思い起こせば3月11日、週末を田舎で過ごそうと思い常磐道を北上し終点の常磐富岡で降りて6号線を北に向かっていた時でした。とある交差点で停止して信号が青に変わったので車をゆっくりと走らせると突然の揺れが襲ってきました。すぐにブレーキを踏んで停止しましたが車が激しく揺さぶられハンドルにしがみついているのがやっとの状態でした。揺れの時間は非常に長く感じました。幸い地盤のしっかりした平らなところだったので路面の陥没や崖の崩落などはなく、揺れが収まるとスムーズに車を動かすことができました。ラジオを点けて地震情報を聞くと震源は近くかなり大きいことがわかり、大津波警報が出ていることもわかりました。しばらくノロノロ走っているとまた大きな揺れが襲ってきましたが、最初ほど時間は長くありませんでした。

津波のこともあるので山側に向かうため側道に入り、たまたまコンビニがあったため車を止めて中に入りました。阪神神戸大震災の経験から食料と水が不足するのは予想できたので、棚から落ちて散乱している商品を跨ぎながら3日分位搔き集めてレジで精算しました。この時点で余震は継続していましたが電気は正常に供給されていました。

東京を出る時満タンにしてあったガソリンも半分ほどになっていたので補給しようとスタンドを探しましたが国道沿いを離れたため見つからず少し高い位置に移動して海のほうを見ると眼下に広がる水田地帯の向こうから津波がやってきました。人生で初めて見る津波です。安全地帯(と自分では思っていたし他に2台車が停車していた)にいたので割と冷静に津波の動きを観察できました。かなり内陸側だったので家が流されるようなシーンはありませんでしたが、それでも国道を横断してこちらに迫ってきました。一瞬危険を感じましたが幸いにも私がいる高台のかなり手前で津波が止まりましたのでおもむろにそこを立ち去り山側の道を北に向けて走りました。途中崖が崩れているとこや地割れして陥没しているところなどが何箇所かありました。橋が架かっているとこは橋の両側で路面が沈下して段差ができていました。

何とかガソリンを補給しようど国道沿いにでてみると車が何台も走っていたので津波にやられていないと判断し、その流れに入りスタンドを探して給油しようとしましたが、その時点でスタンド側は販売をストップしていました。行くところ行くところ販売停止で補給できず、そうこうしているうちに暗闇が迫ってきました。私が必死でガソリンを求めていた頃給油に立ち寄る車は少ないようでした。まだ、私を含めてことの重大性にほとんどの人は気がついていなかったようです。

私が週末を過ごす住いは山側に25K位入ったところにあるので、川沿いの崖の多い道を通って行かねばなりません。普通ならなんら問題がなくドライブを楽しめる道ですが、地震の後で余震が続く中夜間走行となると危険が伴うと考え地元の役場の駐車場に車を止めて一晩過ごすことにしました。敷地内に体育館があり避難場所になっていました。既に役場周辺と商店街の一部を除いてほとんどが停電になっていました。

車中でテレビを見ていると古館一郎が今の臨時ニュースのテロップをもう一度流してくれませんかと言ったので、何事かと思いながら見ると原子力発電所の冷却装置が作動していないことが報じられていました。これはヤバイと思いながら見ていると3K圏内からの避難指示が出されましたが、車を止めてある場所は8~9K離れていることが周りの人から聞いてわかりましたので、寒いのでエンジンをかけたまま車の中で寝ることにしました。

翌朝5時に起きると周りが騒々しいのです。周りにいた人たちに聞くと10K圏内からの避難指示が出たとのこと。役場の防災無線がサイレンを鳴らし避難先を告げていました。既にこの時点で役場の敷地の北側を走っている国道114号線は避難先に向かう車で大渋滞でした。車に戻り朝食を取りながらニュースを見てから、町中を少しドライブして様子を見て歩きました。ブロック塀は崩れ、瓦屋根の古い家は崩落し、新しい家も屋根瓦が剝がれて道路に落ちていました。電線も一部で断線して先が地面に着いていました。

役場の駐車場に戻りナビで防災無線で言っていた避難先を確認しルートを調べていたところ外から窓を叩く音がしたので開けると、避難所まで乗せていってくれないかとの依頼でした。車はSUVで私を含めて定員5人なので、今すぐに出発する予定はなく3時頃にしようと思っているがそれでいいと言う条件で乗せることにしました。聞くとガソリンがほとんどなく避難先まで持たないとのことでしたが、時間があるので家に戻って避難用品を少し揃えてくると言ったので一旦別れました。

午後になると役場の駐車場は静かになりました。暗くならないうちに避難先に着こうと思い2時半ころ避難先に向かって車を走らせましたが、国道114号線は途中から車が繋がり通常30分くらいで着くところが約2時間かかりました。

避難所の本部になっているところは駐車場が一杯で止められず少し離れた所に止めて本部まで歩いて行きましたが、基本的に町の住民を対象にした避難所なのでよそ者をかまっていられないように感じましたので、同乗者をそこに残して車に戻りました。

keiba_yosou26.gif暗くなってきたので今夜も車の中で一晩過ごすことを決めナビのテレビ映りが悪いのでテレビが置いてある避難所で2時間ほど過ごしました。電気、水道は生きていてガスはプロパンなので食糧さえあれば避難所としてはマズマズかなと見ていましたが、何せ小さい集落に何千人と避難してきていますので配給される食料はおにぎり一個程度のようでした。よそ者の私は自分の車に戻り買い溜めしてあるパンと飲み物で夕食を取り、寝酒にワンカップを飲んで眠りにつきました。

以降 その2に続く 


 


nice!(10)  コメント(6)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

nice! 10

コメント 6

ritton2

すぐ近くで被災を体験されたんですね@@ 東京に戻って来られて良かったですね。
by ritton2 (2011-03-17 20:14) 

Kilroy

ときおり、競馬予想を参考にさせてもらってた方が
被災されていたとは…。

ご無事で何よりでした。
まずは、ゆっくりお休みください。
by Kilroy (2011-03-18 01:44) 

唐津っ子

大変な思いをされたのですね.とりあえず,ご無事で何より.
by 唐津っ子 (2011-03-18 02:11) 

miharukoma

>ritton2 さん Kilroyさん  唐津っ子さん

ありがとうございます。

阪神神戸大震災も大阪の豊中にいた時経験していますので、今回が2度目の被災体験でした。

少しは前回の経験が役立ったように思っています。


by miharukoma (2011-03-18 15:05) 

f1wgp

ご無事で何よりでしたm(__)m
by f1wgp (2011-03-19 11:13) 

miharukoma

>f1wgp さん

ありがとうございます。

それにしても原子力発電所が津波に対して無防備に近い状態だったとは…。呆れるばかりです。


by miharukoma (2011-03-21 13:36) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。